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橋本努『社会科学の人間学』勁草書房(1999)

 

まえがき



 社会科学が陶冶しうる自由主義のフロンティア精神とは何か。そしてその精神が切り開く社会の秩序構想とはいかなるものか。
 これが本書の取り組む課題である。かつて大塚久雄は、自由主義の可能性を中産階級の禁欲的エートスに求めたが、しかしその精神はいまやさまざまな点で魅力を失いつつある。これに対してわれわれは、高度知識社会を生き抜くために必要な自由主義のフロンティア精神というもの探り出し、「来たるべき新たな人間」の理念とその社会構想を描いてみたい。社会科学による自由主義のプロジェクト。このテーマを中心に本書は、現代の社会学・人間学・政治哲学・規範理論等における新たな刷新を試みつつ、独創的かつ論争的な仕方で自由の理想を打ち出すことを狙っている。
 では自由主義のフロンティア精神としての「来たるべき新たな人間」とは何か。本書の中で私は〈問題主体〉という理念を練り上げた。〈問題主体〉とは、ウェーバーおよびウェーバー研究の中から提出された「近代主体」に代わる人格の理念であり、その特徴は「問題主体−成長論的主体−拮抗的高揚主体−運命的闘争主体」という綜合的な人格理念として描くことができる。本書はこの〈問題主体〉の理念を丹念に構築・検討することを通じて、新たな人間の理念をもたらそうと企てている。表題にある「社会科学の人間学」とは、社会科学の営みによって陶冶しうる善き人格の理念を検討し、われわれの時代との関係において新たな人間像を探究する学問を指す。そして本書はこの問題に正面から挑んだ成果である。
 まず序章では、本書のテーマが社会科学的認識の「根本問題」となることを説明し、またこれまでの研究史、とりわけ物象化論とリベラル=コミュニタリアン論争、およびウェーバーの研究史を検討することによって、本書の主題を探究に値するものとして位置づける。つづく第一章では、まず、自己や主体や人格やアイデンティティなどの概念を理論的に分析し、次に、近代が理想とした「近代主体」の人格像を六類型に整理して批判的に検討した上で、「問題主体」という新たな人間の理念を丹念に練り上げる。この「問題主体」の理念は、本書全体の中心となる最も重要な知見である。第二章では、近代が掲げた〈決断主体〉の理念を批判的に検討し、これに対して新たに〈成長論的主体〉という人格理念を描き出す。第三章では、ウェーバーの責任倫理論をめぐる錯綜した議論を分析・整理し、新たな解釈として「拮抗的高揚主体」という人格理念を提示する。第四章では、運命の類型学的分析と闘争の社会理論的分析を示し、さらに「神々の秩序」を社会秩序の理念へと発展させた上で、運命的闘争としての自由主義という理想を提示する。第五章では、社会科学方法論のあらたな理論化を試みつつ、これまでの「価値自由」解釈に代わる新たな解釈として「問題自由」という理念を提示し、既存の「価値自由」論を破棄しうることを示す。そして最後に終章では、本書全体の主張と成果を総括する。いずれの章もウェーバーの主題に基づく考察であるが、第一章と第二章は、既存のウェーバー像と対峙するものであり、第三章から第五章までは、ウェーバーのモチーフを発展的に継承するものである。したがって本書は、全体としてはウェーバーの主題を発展的に継承するものとして位置づけることができるだろう。
 私は前著『自由の論法――ポパー・ミーゼス・ハイエク――』(創文社、一九九四年)において、社会科学方法論のシステム理論を構築しつつ、副題にある三人の思想家の分析をおこなった。そこにおいて示されたのは、二〇世紀の自由主義思想が社会科学方法論を中心に展開されたこと、そしてその方法論に思想が負荷されていたことであった。しかし前著では、社会理論と思想史研究において貢献したものの、自分自身の思想については展望したにすぎなかった。本書ではそれを全面的に展開している。私にとって本書は、自分の思想を体系的に紡ぎ出した最初の書である。規範理論の新たな創造を通じて自由主義の新しい思想を語ることに、最大の精力が注ぎ込まれている。論争的であることは前著の比ではない。「来たるべき新たな人間」を創造するという半ば無謀とも言える企図に、私は自らの取り組むべき重要な学問的課題を見いだした。そして本書はその課題に一定の応答をなしえたと考えている。
 もとより本書は、私の博士論文を加筆修正したものであり、その成立までにさまざまな方のお世話になっている。まず、横浜国立大学在籍中にオブザーバーとして参加した内田芳明先生のゼミナール、それから東京大学大学院時代に出席した折原浩先生の授業は、私がウェーバー研究に触れる掛替えのない経験となった。日本を代表するウェーバー研究者の内田芳明先生と折原浩先生との出会いがなければ、私は本書において探究した問題の重要性をつかみ取ることはできなかったであろう。両先生からは、学問に対する畏怖の念を得ると同時に、探究への精神的起動力を大いに与えられた。ここに感謝と尊敬の念を表したい。また、大学院における指導教官の松原隆一郎先生には、修士課程から現在に至るまでの約八年間、論文指導その他において非常にお世話になった。未熟な私が自律できるようになったのは師のおかげである。記して感謝したい。佐藤俊樹先生、嶋津格先生、平子友長先生、森政稔先生、山脇直司先生からは、本書の草稿に対する鋭い批判と適切なアドバイスをいただいた。ウェーバー研究に関しては、宇都宮京子先生、小林純先生、古川順一先生、横田理博先生、嘉目克彦先生、そして一橋大学の大学院生を中心とするウェーバー研究会の皆様――荒川敏彦、霜鳥文美恵、鈴木宗徳、中西武史、橋本直人、矢野善郎の各氏――から有益な批判をいただき、実り豊かな議論を交わすことができた。さらに、本書の一部を発表した千葉大学の政治研究会の皆様、北海道の社会経済思想史研究会の皆様、および、一九九八年度の日本社会学会大会および経済学史学会大会における私の発表をめぐって討議していただいた皆様から、有益な批判と助言をいただいた。以上の方々すべてに感謝の念を表したい。最後に、東京大学の大学院生を中心とするチャールズ・テイラー研究会は、私の思想的・規範理論的なスタンスを磨くための場であった。この研究会はリベラル=コミュニタリアン論争を中心に、今世紀の政治・倫理思想をめぐって活発な討議をくりかえしてきた。工藤義博、斎藤直子、坂口緑、瀬田宏治郎、中野剛充の各氏に、この場を借りてお礼を申し上げたい。
 もっとも、私の思想の核となる人間理念はすこぶる奇抜なので、以上の方々の多くにとって私の主張は、説得的というよりも論争的であることは間違いない。しかし私の「問題設定の意義」については、これを共有してもらうことができたのではないかと実感している。今後こうした問題をめぐって議論を深めてゆけるならば、われわれは二〇世紀日本における社会科学の遺産を、次世代に向けて発展的に継承していくことができるだろう。本書の意義は、これまでのウェーバー研究を批判的かつ発展的に継承して、自由主義の特殊構想を構築した点にある。同時代の読者の皆様および将来世代の読者の皆様に、本書における問題を問題化して引き継いでいただければ私の先駆的任務は果たせたことになる。御批判・御検討を請う次第である。
 最後になったが、本書の出版に際して、勁草書房の富岡勝氏には並々ならぬご尽力をいただいた。次世紀を展望してこの世紀末に本書を出版できたことは、私にとってなによりの喜びである。謝して厚くお礼申し上げたい。

 

    一九九九年四月

 

橋 本